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2023年1月14日土曜日

小日向砦からの縦走

 


小日向砦に行って来ました。


小日向砦の記録
 栃木県誌によると「所在は作原で、小日向山にあり、蓬山城の出城であったという。遺構は見られないが、井戸跡がある。」とのことで、詳細は不明。


 現在、大きな松がそびえておりましたが、井戸はなく、掘った窪み跡が数カ所ありました。
 本当に、この尾根に井戸があったのでしょうか ???
 不思議です。


 その後、尾根をつたって 岳ノ山から 大鳥屋山を縦走し、下作原の岩獄神社へ降りてきました。

距離6.5km   高低差500m 7時間

スタート(標高195m)⇒  小日向砦跡(標高450m) ⇒  岳ノ山(標高704m) ⇒  案内看板⇒  大鳥屋山(標高693m)⇒青木建材からの眺望(標高370m) ⇒  ゴール(標高190m)





けっこう、疲れました。
このルートはGPS地図がないと迷います。
ちなみに、白岩には大鳥屋山がありますが、長谷場には小鳥屋山という山があります。
 また、大鳥はヤマトタケルノミコトを表しているような気もしますが、気のせいかな ?



SSSSSSSSSSSSSSSSSSSS

久々にYoutube
「林道 白岩柿平線」
大鳥屋山の南にある峰越林道
地元の人でもなかなか行かない?
画面の△を触れて下さい。








2022年12月6日火曜日

あそ野学園ふるさとウォーク 中止!!

 

12月6日ふるさとウォーク
残念ながら雨天で中止

 主催者のあそ野学園校長先生をはじめ、各先生の方々は入念に準備されてきただけに、やむを得ませんが、お気持ちを思いはかるばかりです。宇都宮では初雪とのこと。

 生徒たちも楽しみにしていたのになあ、残念!!

 それでも、町会などの紹介コーナーは実施されました。


 三好・野上の各町会、JA佐野、佐野市郷土博物館など、それぞれの教室で紹介やPR。
 生徒たちへ 1組 10分以内で、約 20組。 なかなか、大変でした。



 長谷場町会は紹介ビデオを製作し、生徒たちに見てもらいましたが、さて、どんなもんかしら ??


長谷場町紹介ビデオ 6分
Youtube窓の▽をタップ(触れて)
してください。







2022年4月8日金曜日

慈眼寺

 


 地元には二つの寺があります。

 前回(3/18)は北の崇禅寺を紹介しましたが、

 今回は南の慈眼寺です。

 



田沼町史によりますと (抜粋)

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寺名-----湖水山 慈眼寺
宗派-----真言宗
本尊-----聖観音
開基、開山、開創年---未定
 
(1) 住職の墓八基の中で、延宝八年(1680)没の尊耀(そんよう)の墓が最も古いので、開山は 尊耀 ではないかと思われる。
明治1011月から同17年まで、長楽学校 (長谷場小学校の前身の 仮校舎があった。

(2) 佐野西国28番札所観音堂があり、旧310日に下長谷場の講中で観音会が行われる。

(3) 摩陀梨尊天堂がある。725日に神輿渡御の夏祭りが行われる。
 
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と記載されています。
 

 以前は無住でしたが、現在は、住職がいらっしゃいます。
 心強い限りです。
 小高い敷地にあり、境内の大きなは見事で、非常に目立ちます。




慈眼寺 の 
YouTubeの▽をタップしてね。





日 々 是 精 進

真言宗 豊山派






 


2022年3月26日土曜日

忍城・蓬山城

 


 先日、蓬山城に登って参りました。

 周知のとおり、作原町の蓬山ログビレッジの上にある山です。

 ビレッジのソバはなかなか美味いですよ。

 でも、ボチボチ山ビルが出始めるので山の入るのは気を付けよう !!


田沼町史によりますと(抜粋)

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 標高約390m、北西に尾根が続く。周辺にいくつもの曲輪、堀切がみられ、藤原秀郷が築いたといわれる。

 また、忍城 といい佐野氏が万一の場合に備えたものと言われる。作原の在地領主の砦と考えられ、また北方の藤四(氏)館、小日向砦との関係から佐野氏の北の守りと考えられる。


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位   置   図



岳ノ山からの眺望予想図




 現在、南コースからは柵や倒木等で厳しいらしく、地元の伝手で別ルートを利用させて頂きました。
 登上げは約130m、ゆっくり登って約 30 分で尾根に出ることができました。
 尾根には確かに曲輪や堀切の形跡が素人でも分かります。

 頂上には石垣を積まれた 祠が 3 つほど鎮座し、目の前に岳ノ山が良く見えます。昔とは違うかもしれませんが、なるほど、このような景色だったのかと。



頂 上 付 近 の 祠


蓬山城から 岳ノ山の眺望



佐野氏 最後 の 砦  

 佐野氏は、1614年にお取り潰しとなり、唐沢山城田沼側の栃本はお留山(入山・伐採禁止)のまま、城の遺構が保存されることとなります。(冷凍保存かな?) その時点で、この蓬山城も廃城になったらしい。


 野上地区は、長谷場城()、寄居城()、白岩城()、小日向城()、最北の藤四()館、そして、この最後の砦「蓬山城」などいくつもの砦・城の遺構があり、佐野氏唐沢山城との関係が非常に深い地域であったようです。

この地域には「清和源氏」の家系という方もいるとか。


 いずれにしても、当時、城や砦を守っていた人たちがそれぞれにいたはずです。




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ヘッ、へッ~ !!

今は、オイラ達が守っているのさ。

人間様には、感謝してもらいたいものだ ってかあ。


これは、言い過ぎましたm( _ )m









2022年3月18日金曜日

崇 禅 寺

 


   今回は地元の建長寺派臨済宗崇禅寺です。


田沼町史によりますと (抜粋)

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寺名--------臥竜山 崇禅寺
宗派--------臨済宗
本尊--------大日如来

 この寺は、その昔、東禅寺と称し、戸奈良の羽室にあって、藤原秀郷の支援により法正坊僧正が開山したといわれている。戸室に移った後、泰亀が現在の長谷場に移した。

 1278までは天台宗であったが、その後、帰化僧無学祖元執権北条時宗の勧めで、建長寺派臨済宗に改宗したといわれている。

 本堂の後ろへ臥竜窟と呼ぶ座禅堂を建てたので、山号を臥竜山とした。

 火災に遭い全焼し現在の本堂は弘化年間(1844から1848)再建したものである。

 佐野秩父24番札所になっている。

 また、廃寺となった心宗寺(黒田班地内?)観音が、現在、境内に移されている。

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 この寺が創設された年代(当初は東禅寺)は、田沼町史によると938年から947年頃とされ、かなり古いようです。

 崇禅寺に、これほどの歴史があったとは思いませんでした。

 現在は無住職ですが、葛生の鉢ノ木町にある願成寺に兼務をお願いしております。



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 色 即 是   空 即 是 



YouTubeのをタップしてね。








2022年2月27日日曜日

悠久の長谷場城

 



  先日、ようやく長谷場城に登ることができました。

 地元に長年住んでいても、知らない方々が多くいらっしゃいます。


 登る途中に一部補助ロープが設置され、登山道らしき道も残っていておりました。以前登った小又の寄居城や白岩城には無かったものです。

 

田沼町史によりますと(抜粋)

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長谷場城

 種 別------
 所在地------ 長谷場
 立地形態--- 山頂、山腹、尾根
 遺 構------ 堀、曲輪、土塁

長谷場城は標高約400mの扇山山頂付近に遺構が見られる。山頂は削平され、東西約60m、南北約10mの曲輪となっている。山頂周辺に曲輪が数多く見られ、曲輪の数がきわめて多いことがこの砦の特色といえる。

 この砦は藤原秀郷が築いたものと言われるが、戦国期のころのものか。

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 頂上には、祠と石像が一つずつありましたが、散らばっており石像は首がありません。

 首を探しましたが残念ながら見つかりませんでした。



 あまりに無残でしたので、地元の者として直して参りました。

 町史のとおり、頂上付近には曲輪の跡が多く見られ、頂上は削られ広々としています。堀切もわかります。

 


高い木々が繁茂し、見晴らしは良くありません残念 !

当時は、小又の寄居城を見下ろし、北には白岩城、南には佐野の唐沢城まで見通せたでしょう。


 その後、北隣の標高416mの山へ、それから尾根を伝い大鳥籠神社方面に下山。

 

   9:30   出発 (標高約130m)  

  10:4011:10 長谷場城 (400m)

  11:3012:20 北の山 (416m 昼飯)  

  15:30  下山 大鳥籠守神社付近 (140m)  


  総距離 2.5km     約 4時間


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今回は 長谷場の 桜 です。

YOUTUBEの▽をタップしてね。



早く春が来ないかなあ !!

今年はどんなかな ?

 

 

(アニメはフリー素材を加工、国登録済み軽量ドローンとフリーBGM使用)




2022年1月3日月曜日

風雲 白岩山城

 


 正月3日、白岩城に登って参りました。
 白岩2名、長谷場2名、有志2名の6名です。
 長年、地元に住んでいても、なかなか登る機会はありません。

 
田沼町史によりますと(抜粋)

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白岩山城

種       別 ----  
立地形態 ----  山腹(山頂付近)・尾根
遺       構 ----  堀切、曲輪、石垣

 白岩山城は白岩山(通称雷電山)の山頂付近の山腹と尾根上に遺構がみられる。標高420m
 山頂周辺にいくつもの曲輪や石垣、堀切がある。築、廃城は不明であるが、戦国時代に砦として築かれたと思われる。また、蓬山三の出城というところから、蓬山城や唐沢山城と関係があるものか。

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白岩オカリナの里9:00出発、城山頂9:50
 
 山頂は尖った崖で、周りには掘った跡の曲輪がいくつか見られます。
 先日、登った小又の寄居城と未踏の長谷場城が木々の間から眺望できます。
 白岩城からは佐野の唐沢山城は見えませんが、長谷場城からは直距離10km先に見えたはずです。
 しかし、白岩城のすぐ近くに、同じ名前の唐沢山があるのは不思議な感じです。





その後、その唐沢山へ。

10:15白岩城発 11:30途中休憩の576m山頂。

「柿平村」と刻まれた祠があり、ここにも山を越えての交流を確認。



12:00唐沢山頂554.9m



 ここまで来ると360度。

 北は男体山、大鳥屋山、熊鷹山、遠く東に筑波山や南に東京スカイツリー、西に榛名山まで眺望できます。

14:00 オカリナの里帰還。

行程4km5時間。














2021年12月20日月曜日

小又の寄居城

 


 先日、小又の「寄居城」跡に登って参りました。現在、山頂には石の祠が一つ鎮座しております。


 田沼町史によりますと
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・種別--------
・所在地-----長谷場
・立地形態---山頂、山腹、尾根
・遺構--------堀切、曲輪
  寄居山と称する旗川に面した標高約240mの山頂付近一帯に遺構がみられる。
 寄居山は旗川と小又沢の合流点に位置し、北西に尾根が続く。
 また、小又は閑馬方面への道筋でもある・・・・・・・・・・
 築・廃城は不明である。
 この砦は東北に位置する長谷場城との関連があるものと思われる。
 主に眼下に位置する道路に対する番所的なものであろうか。

***************************************
と記載されています。


道がないため直登し、往復で約1時間30分。
携帯アプリでは標高234m
猟期のため、目立つ服装と笛を吹き吹き。


















 町史のとおり、小又地区は山を越えた閑馬地区と交流があったようです。


 以前、金原山付近に行った時、小又と閑馬を結ぶ尾根境に六地蔵」があり、「長谷場村」と刻まれておりました。

 












車社会と違って、山を物ともせず交流していたことを改めて実感しました。


いつかは、長谷場城にも登ってみたいものだ。










2021年11月12日金曜日

長谷場の成立

 




 今回は、郷土史家の影山宮司から貴重な資料
の提供がありましたので、紹介しておきます。

          

  長 谷 場 の 成 立

 長谷場の語源は、山地に挟(ハサ)まれた谷地形
(バ)という説があります。
   (佐野市ホームページ「町名のいわれ」より) 


 野上の領主は戦国時代まで唐沢山城の佐野氏で、
その最大領域は現佐野市域と栃木市の一部を加え
石高は3万9000石でした。慶長19年(1614)佐野
信吉が改易され領域は幕府領になりました。
その後領主は変遷し、天和2年(1682)からは旗本彦
坂氏領となり明治まで続きます。


 明治元年(1868)武蔵吹上藩領となり、明治4年
(1871)の廃藩置県で栃木県に属し現在に至ります。
 長谷場の成立江戸初期(元和~寛文1616~
1680)で、野上地域を御神楽・長谷場・白岩・
作原の4村に分けたと言われます。


 石高は御神楽村が229石、長谷場村が508石
白岩村が395石、作原村が766石です。


 明治22年(1889)4月1日に、御神楽・長谷場
白岩・作原の4村が合併し野上村が成立しました。
そして役場を細長い村の中心の白岩に置きました。


 当時、学校は長谷場、白岩、作原の3つありま
たが、明治42年(1909年)に長谷場の駒藤と作原
近沢に新校舎が完成し、野上第一尋常小学校、
第二尋常小学校となり戦後まで続きます。


 昭和29年(1954)三好村と一緒に田沼町と合
しました。
 昭和31年(1956)新合村、飛駒村が田沼町に
合併しました。
 そして平成17年(2005)2月28日、田沼町は
葛生町とともに佐野市に合併し、今に至ります。



 なになに !

 長谷場村は、江戸初期に成立し、明治期の
野上村には小学校が三つあった とな。
 なかなか勉強になりますm(_)m
 貴重な資料ありがとうございます。




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今回の空撮は、何処でしょうか?
YouTube画面のをタップしてね。
















2021年10月25日月曜日

大鳥籠守神社秋季大祭part2

 



大鳥籠守神社の由来


 影山宮司は、ご存じのように指折りの郷土歴史家であります。

 この度、大鳥籠守神社に関わる貴重な調査資料を提供して頂きましたのでご紹介しておきます。


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長谷場探訪

1 大鳥籠守神社

 主祭神日本武尊(やまとたけるのみこと)

      底筒之男命(そこつつのおのみこと)

 本 殿: 神明造銅葺、弊殿:亜鉛葺、

     拝殿:瓦葺

 例 祭: かつては4月3日だったが、

     現在は、10月第4日曜日

 由 来: 『長谷場村地誌編輯材料取調書』によると、佐野広綱が藤原一族の近藤頼重・景頼の二人が赤見合戦で負傷し本村で自害したのを弔い、祀堂を作り祭ったのが始まりという。その後佐野家に祟りが続いたため、佐野重綱が両社大明神として祭り、その後祟りがなくなった。元禄14(1701)宇都宮二荒山神社より正一位の号を授与された。

    慶応3(1867) 前橋藩領の時に、大鳥神社日本武命 籠守底筒男命と社号及び祭神を変更した。祭日は旧暦315日及び99日とする。弊殿と拝殿は破損のため、明治18(1885)に再建する.

 

 ※日本武尊: 景行天皇の子で、熊襲・出雲・蝦夷征討を行い、焼津では草薙の剣の話がある。伊吹山での死後白鳥になったという。日本武尊を祭神とする神社は、大阪府堺市に大鳥神社として鎮座する。

 ※底筒男命: 大坂住吉大社の祭神の一人(他は中筒男命・表筒男命)で、航海安全・和歌・農業・漁業に関する信仰を持つ。


境内に『日露戦役従軍記念碑』と『軍馬之霊』の石碑がある。


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 以上ですが、
 この神社は、合戦に負け、自害した二人の武士のから始まり、紆余曲折後、前橋藩領になって慶応3年(1867年) 、日本古代史上の伝説的英雄の「日本武尊 と 海にまつわる神様の「底筒之男」の二つの神様が祀られることになった。
    神社には通常1つの神様を祀るところ、この神社には日本武尊」 と 「底筒之男命」の二つの神様が祀られており、このような神社は非常に珍しくさらに海にまつわる神様が山の中に祀られていることも不思議だということです。
 

  


篭守--底筒之男命 大鳥--日本武尊

 

 

また、前橋藩領になってから、なぜ祀る神様が変わったのかはわからない。

当時の人に聴いてみたいものだとも おっしゃっていました。

 


大変、勉強になります。

何も知らずにお祭りをするよりは、少しは知っていた方が面白い。

資料提供ありがとうございました m(_)m。

今後、このように影山宮司から地元の貴重な資料を提供して頂けましたら、随時、公開していきたいと思います。