栃木県誌によると「所在は作原で、小日向山にあり、蓬山城の出城であったという。遺構は見られないが、井戸跡がある。」とのことで、詳細は不明。
本当に、この尾根に井戸があったのでしょうか ???
その後、尾根をつたって 岳ノ山から 大鳥屋山を縦走し、下作原の岩獄神社へ降りてきました。
1 スタート(標高195m)⇒ 2 小日向砦跡(標高450m) ⇒ 3 岳ノ山(標高704m) ⇒ 4 案内看板⇒ 5 大鳥屋山(標高693m)⇒ 6 青木建材からの眺望(標高370m) ⇒ 7 ゴール(標高190m)
栃木県誌によると「所在は作原で、小日向山にあり、蓬山城の出城であったという。遺構は見られないが、井戸跡がある。」とのことで、詳細は不明。
その後、尾根をつたって 岳ノ山から 大鳥屋山を縦走し、下作原の岩獄神社へ降りてきました。
1 スタート(標高195m)⇒ 2 小日向砦跡(標高450m) ⇒ 3 岳ノ山(標高704m) ⇒ 4 案内看板⇒ 5 大鳥屋山(標高693m)⇒ 6 青木建材からの眺望(標高370m) ⇒ 7 ゴール(標高190m)
主催者のあそ野学園校長先生をはじめ、各先生の方々は入念に準備されてきただけに、やむを得ませんが、お気持ちを思いはかるばかりです。宇都宮では初雪とのこと。
生徒たちも楽しみにしていたのになあ、残念!!
それでも、町会などの紹介コーナーは実施されました。
地元には二つの寺があります。
前回(3/18)は北の崇禅寺を紹介しましたが、
今回は南の慈眼寺です。
先日、蓬山城に登って参りました。
位 置 図
岳ノ山からの眺望予想図
蓬山城から 岳ノ山の眺望
佐野氏 最後 の 砦
今回は地元の建長寺派臨済宗「崇禅寺」です。
田沼町史によりますと (抜粋)
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この寺は、その昔、東禅寺と称し、戸奈良の羽室にあって、藤原秀郷の支援により法正坊僧正が開山したといわれている。戸室に移った後、「泰亀」が現在の長谷場に移した。
1278までは天台宗であったが、その後、帰化僧「無学祖元」が執権北条時宗の勧めで、建長寺派臨済宗に改宗したといわれている。
本堂の後ろへ臥竜窟と呼ぶ座禅堂を建てたので、山号を臥竜山とした。
火災に遭い全焼し、現在の本堂は弘化年間(1844から1848)に再建したものである。
佐野秩父24番札所になっている。
また、廃寺となった心宗寺(黒田班地内?)観音堂が、現在、境内に移されている。
この寺が創設された年代(当初は東禅寺)は、田沼町史によると938年から947年頃とされ、かなり古いようです。
崇禅寺に、これほどの歴史があったとは思いませんでした。
現在は無住職ですが、葛生の鉢ノ木町にある願成寺に兼務をお願いしております。
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色 即 是 空 空 即 是 色
先日、ようやく長谷場城に登ることができました。
地元に長年住んでいても、知らない方々が多くいらっしゃいます。
登る途中に一部補助ロープが設置され、登山道らしき道も残っていておりました。以前登った小又の寄居城や白岩城には無かったものです。
田沼町史によりますと(抜粋)
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長谷場城
長谷場城は標高約400mの扇山山頂付近に遺構が見られる。山頂は削平され、東西約60m、南北約10mの曲輪となっている。山頂周辺に曲輪が数多く見られ、曲輪の数がきわめて多いことがこの砦の特色といえる。
この砦は藤原秀郷が築いたものと言われるが、戦国期のころのものか。
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頂上には、祠と石像が一つずつありましたが、散らばっており石像は首がありません。
首を探しましたが残念ながら、見つかりませんでした。
あまりに無残でしたので、地元の者として直して参りました。
町史のとおり、頂上付近には曲輪の跡が多く見られ、頂上は削られ広々としています。堀切もわかります。
高い木々が繁茂し、見晴らしは良くありません。残念 !
当時は、小又の寄居城を見下ろし、北には白岩城、南には佐野の唐沢城まで見通せたでしょう。
その後、北隣の標高416mの山へ、それから尾根を伝い大鳥籠神社方面に下山。
9:30 出発 (標高約130m)
10:40~11:10 長谷場城 (400m)
11:30~12:20 北の山 (416m 昼飯)
15:30 下山 大鳥籠守神社付近 (140m)
総距離 2.5km 約 4時間
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今回は 長谷場の 桜 です。
YOUTUBEの▽をタップしてね。
早く春が来ないかなあ !!
今年はどんなかな ?
(アニメはフリー素材を加工、国登録済み軽量ドローンとフリーBGM使用)
その後、その唐沢山へ。
10:15白岩城発 11:30途中休憩の576m山頂。
「柿平村」と刻まれた祠があり、ここにも山を越えての交流を確認。
12:00唐沢山頂554.9m。
ここまで来ると360度。
北は男体山、大鳥屋山、熊鷹山、遠く東に筑波山や南に東京スカイツリー、西に榛名山まで眺望できます。
14:00 オカリナの里帰還。
行程4km、5時間。
町史のとおり、小又地区は山を越えた閑馬地区と交流があったようです。
以前、金原山付近に行った時、小又と閑馬を結ぶ尾根境に「六地蔵」があり、「長谷場村」と刻まれておりました。
車社会と違って、山を物ともせず交流していたことを改めて実感しました。
長 谷 場 の 成 立
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大鳥籠守神社の由来
影山宮司は、ご存じのように指折りの郷土歴史家であります。
この度、大鳥籠守神社に関わる貴重な調査資料を提供して頂きましたのでご紹介しておきます。
長谷場探訪
1 大鳥籠守神社
主祭神: 日本武尊(やまとたけるのみこと)
底筒之男命(そこつつのおのみこと)
本 殿: 神明造銅葺、弊殿:亜鉛葺、
拝殿:瓦葺
例 祭: かつては4月3日だったが、
現在は、10月第4日曜日
由 来: 『長谷場村地誌編輯材料取調書』によると、佐野広綱が藤原一族の近藤頼重・景頼の二人が赤見合戦で負傷し本村で自害したのを弔い、祀堂を作り祭ったのが始まりという。その後佐野家に祟りが続いたため、佐野重綱が両社大明神として祭り、その後祟りがなくなった。元禄14年(1701)宇都宮二荒山神社より正一位の号を授与された。
慶応3年(1867) 前橋藩領の時に、大鳥神社日本武命 籠守底筒男命と社号及び祭神を変更した。祭日は旧暦3月15日及び9月9日とする。弊殿と拝殿は破損のため、明治18年(1885)に再建する.
※日本武尊: 景行天皇の子で、熊襲・出雲・蝦夷征討を行い、焼津では草薙の剣の話がある。伊吹山での死後白鳥になったという。日本武尊を祭神とする神社は、大阪府堺市に大鳥神社として鎮座する。
※底筒男命: 大坂住吉大社の祭神の一人(他は中筒男命・表筒男命)で、航海安全・和歌・農業・漁業に関する信仰を持つ。
境内に『日露戦役従軍記念碑』と『軍馬之霊』の石碑がある。
篭守--底筒之男命 大鳥--日本武尊
また、前橋藩領になってから、なぜ祀る神様が変わったのかはわからない。
当時の人に聴いてみたいものだとも おっしゃっていました。
大変、勉強になります。
何も知らずにお祭りをするよりは、少しは知っていた方が面白い。
資料提供ありがとうございました m(_)m。
今後、このように影山宮司から地元の貴重な資料を提供して頂けましたら、随時、公開していきたいと思います。