2021年10月25日月曜日

大鳥籠守神社秋季大祭part2

 



大鳥籠守神社の由来


 影山宮司は、ご存じのように指折りの郷土歴史家であります。

 この度、大鳥籠守神社に関わる貴重な調査資料を提供して頂きましたのでご紹介しておきます。


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長谷場探訪

1 大鳥籠守神社

 主祭神日本武尊(やまとたけるのみこと)

      底筒之男命(そこつつのおのみこと)

 本 殿: 神明造銅葺、弊殿:亜鉛葺、

     拝殿:瓦葺

 例 祭: かつては4月3日だったが、

     現在は、10月第4日曜日

 由 来: 『長谷場村地誌編輯材料取調書』によると、佐野広綱が藤原一族の近藤頼重・景頼の二人が赤見合戦で負傷し本村で自害したのを弔い、祀堂を作り祭ったのが始まりという。その後佐野家に祟りが続いたため、佐野重綱が両社大明神として祭り、その後祟りがなくなった。元禄14(1701)宇都宮二荒山神社より正一位の号を授与された。

    慶応3(1867) 前橋藩領の時に、大鳥神社日本武命 籠守底筒男命と社号及び祭神を変更した。祭日は旧暦315日及び99日とする。弊殿と拝殿は破損のため、明治18(1885)に再建する.

 

 ※日本武尊: 景行天皇の子で、熊襲・出雲・蝦夷征討を行い、焼津では草薙の剣の話がある。伊吹山での死後白鳥になったという。日本武尊を祭神とする神社は、大阪府堺市に大鳥神社として鎮座する。

 ※底筒男命: 大坂住吉大社の祭神の一人(他は中筒男命・表筒男命)で、航海安全・和歌・農業・漁業に関する信仰を持つ。


境内に『日露戦役従軍記念碑』と『軍馬之霊』の石碑がある。


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 以上ですが、
 この神社は、合戦に負け、自害した二人の武士のから始まり、紆余曲折後、前橋藩領になって慶応3年(1867年) 、日本古代史上の伝説的英雄の「日本武尊 と 海にまつわる神様の「底筒之男」の二つの神様が祀られることになった。
    神社には通常1つの神様を祀るところ、この神社には日本武尊」 と 「底筒之男命」の二つの神様が祀られており、このような神社は非常に珍しくさらに海にまつわる神様が山の中に祀られていることも不思議だということです。
 

  


篭守--底筒之男命 大鳥--日本武尊

 

 

また、前橋藩領になってから、なぜ祀る神様が変わったのかはわからない。

当時の人に聴いてみたいものだとも おっしゃっていました。

 


大変、勉強になります。

何も知らずにお祭りをするよりは、少しは知っていた方が面白い。

資料提供ありがとうございました m(_)m。

今後、このように影山宮司から地元の貴重な資料を提供して頂けましたら、随時、公開していきたいと思います。




 

 


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