2021年11月12日金曜日

長谷場の成立

 




 今回は、郷土史家の影山宮司から貴重な資料
の提供がありましたので、紹介しておきます。

          

  長 谷 場 の 成 立

 長谷場の語源は、山地に挟(ハサ)まれた谷地形
(バ)という説があります。
   (佐野市ホームページ「町名のいわれ」より) 


 野上の領主は戦国時代まで唐沢山城の佐野氏で、
その最大領域は現佐野市域と栃木市の一部を加え
石高は3万9000石でした。慶長19年(1614)佐野
信吉が改易され領域は幕府領になりました。
その後領主は変遷し、天和2年(1682)からは旗本彦
坂氏領となり明治まで続きます。


 明治元年(1868)武蔵吹上藩領となり、明治4年
(1871)の廃藩置県で栃木県に属し現在に至ります。
 長谷場の成立江戸初期(元和~寛文1616~
1680)で、野上地域を御神楽・長谷場・白岩・
作原の4村に分けたと言われます。


 石高は御神楽村が229石、長谷場村が508石
白岩村が395石、作原村が766石です。


 明治22年(1889)4月1日に、御神楽・長谷場
白岩・作原の4村が合併し野上村が成立しました。
そして役場を細長い村の中心の白岩に置きました。


 当時、学校は長谷場、白岩、作原の3つありま
たが、明治42年(1909年)に長谷場の駒藤と作原
近沢に新校舎が完成し、野上第一尋常小学校、
第二尋常小学校となり戦後まで続きます。


 昭和29年(1954)三好村と一緒に田沼町と合
しました。
 昭和31年(1956)新合村、飛駒村が田沼町に
合併しました。
 そして平成17年(2005)2月28日、田沼町は
葛生町とともに佐野市に合併し、今に至ります。



 なになに !

 長谷場村は、江戸初期に成立し、明治期の
野上村には小学校が三つあった とな。
 なかなか勉強になりますm(_)m
 貴重な資料ありがとうございます。




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1 件のコメント:

  1. ご苦労様です。
    アニメとドローンが楽しみで、たまに見てます。

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